「親鸞会」の卒業と「念仏の信心」のススメ

親鸞会からの卒業と、いろいろな入射角で浄土真宗の領解を取り上げるブログです

2024-01-01から1年間の記事一覧

㉗「多生の目的」について

「多生の目的」について述べたいとおもいます。 近藤元講師のブログに以下の記事がありました。わかりやすい視点で書かれているのでぜひ読んでみてください。 21century-shinshu.hatenadiary.com 「多生の目的」というのは親鸞会の教えです。 聖道仏教では、…

㉖ 「カルト」について(後編)

「カルト」について、後編を書きたいとおもいます。 最近は、統一教会の話題がマスコミで報道されていますが、かつて大学の新興宗教系サークルとして統一教会系、オウム真理教系、そして親鸞会系の3つが目立っており活発な活動を行っていました。 かつて、…

㉕ 「カルト」について(中編)

前回に続いて、「カルト」について述べたいとおもいます。 親鸞会を退会した方が、同じような集まりに移ってしまっている、という話を最近耳にします。 それらの中には、私も参詣したことがある集まりがいくつかあります。 ただ、それらの集まりが親鸞会と同…

㉔ 「カルト」について(前編)

「カルト」ということについて、少し述べてみたいとおもいます。 「カルト」という用語は、メディアなどでしばしば用いられますが、学術的にはいまだ確かな定義はないようです。 統一教会の問題がクローズアップされ、堰を切ったように「カルト」問題が報道…

㉓ 2人の後輩

学生時代に、親鸞会のサークルの部長をしていたことがあります。 2人の心に残る後輩がいました。 S君は2年下、A君は3年下、2人とも理系の学部で背も少し小さく兄弟のようでした。 四国出身のA君が1年生のとき「S先輩が自分の下宿で食事を作ってくれた…

㉒「除名」ということ(後編)

「除名」について、少し書き足りないことがありましたので前回の投稿を(中編)にしまして(後編)を書きたいとおもいます。 親鸞会の「除名」は、組織の中では最も重罪という扱いなので生易しいものではありません。(一旦、組織の外に出るとたいした衝撃力…

㉑「除名」ということ(中編)

前回に引き続いて「除名」と言うことについて考えてみたいとおもいます。 親鸞会では、「除名」が一番重い処分とされていますが、これは親鸞会に限ったことではありません。 真宗大谷派の僧侶高木顕明は、1910年「除籍(僧籍削除)」の処分を付されました。 …

⑳「除名」ということ(前編)

「除名」ということについて考えたいとおもいます。 随分昔のことであり、あまり思い出すこともなかったのですが、先の投稿でブログを取り上げた近藤元講師と、親鸞会脱会ブログを書いている山も山さん、夕顔日記というブログを書いている方と私の4名は、か…

⑲「21世紀の浄土真宗を考える会」のブログ

親鸞会元講師の近藤智史氏が生前に書いていたブログ、 「21世紀の浄土真宗を考える会」のブログ記事を抜粋してアーカイブとしました。 関係者の了解を得ましたので、以下のURLに移管させて頂きました。21century-shinshu.hatenadiary.com: 今も褪せることな…

⑱「還相回向」について

「還相回向」について書きたいとおもいます。 親鸞聖人は、『教行信証』に、 「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり」と述べられています。 「往相回向」は、私を極楽浄土に往生させるはたらき、 「還相回向」は…

⑰「不浄説法」について

「不浄説法」ということについて書きたいとおもいます。 「不浄説法」とは、 「自己の名誉や利益のために教法を説くことであり、誤った教法を説くこと」 とされています。 宗派によって少しづつ定義が異なりますが、趣旨は一緒と考えてよいとおもいます。 善…

⑯「乃至一念」について

「乃至一念」について書きたいとおもいます。 「乃至一念」は、 『大無量寿経』の中の「本願成就文」「下品上生」「弥勒付属文」3か所にあります。 法然聖人は、「乃至一念」は3つとも「行の一念」だとされています。 親鸞聖人は『教行信証』では「本願成就…

⑮「三方よし」について

真宗教義の少し難しい話が続きましたので、今回は少し視点を変えてみたいと思いました。 「三方よし」と言うことについて書いてみたいと思います。 「三方よし」は近江商人の経営理念であったと言われます。 三方とは「売り手よし」「買い手よし」「世間よし…

⑭「称名念仏」について

「称名念仏」について書きたいとおもいます。 親鸞聖人は『教行信証』「行巻」で、 私たちの救いの「大行」は「無碍光如来の名を称えることである」 と明確にお示しになっています。 「無碍光如来の名」とは「名号」(南無阿弥陀仏)のことですので、ひとま…

⑬「歓喜」について

「歓喜」について書いてみたいとおもいます。 ⑪「信心」について、で浄土真宗の「信心」は「疑いが無くなる」ということであり意業とは直接的な関係がないことを述べました。 これについて親鸞会の元講師や会員の方から、信心決定したら「大歓喜がおこるので…

⑫「なぜ生きる」について

「なぜ生きる」についてです。 「なぜ生きる」は「仏法」であり「どう生きる」は「仕事・学業・政治・経済・科学など」である。 「なぜ生きる」が目的であり「どう生きる」は手段である。 「なぜ生きる」は「どう生きる」より重要である。 などという親鸞会…

⑪「信心」について

今回は「信心」について書かせて頂きたいと思います。 親鸞聖人の教えは、「信心正因」であり「信心」によって救われると言われています。 「信心」の話を避けていては浄土真宗の領解について述べたことにならないとおもいますので、このテーマを取り上げさ…

⑩感想を頂きました(その3)

最近頂いた感想について、感じたことを書かせていただきたいとおもいます。 ある親鸞会の講師の方から、 「親鸞会については、私のほうが詳しく分かるので、教えて頂かなくても大丈夫かと思います。もっと(ブログ筆者の)何かユニークな強みが出るような情…

⑨「一念覚知」について

「一念覚知」についてYouTubeなどの動画で、数多くの根拠が出されて論争が続いているようです。 親鸞会の元講師の方から、それとは少し異なる観点「認識論」で述べてみてほしいとのことです。 「一念覚知」の定義を『浄土真宗辞典』では 「行者は、信の一念…

⑧感想を頂きました(その2)

別の元会員の方から「一つだけお願いしたいと思うことは過去の恨み節は書かないようにお願いします。」という感想をいただきました。 自分で読み返し、その通りであると思われる部分を①からすべて、全体的に修正いたしました。 「南無阿弥陀仏」のはたらきで…

⑦「行信」について

浄土真宗の「行信」について書きたいとおもいます。 親鸞聖人は「行信」によって救われると説かれています。 「信(信心)」だけ、あるいは「行(念仏)」だけではなく「行信」によって往生させていただくのです。 「行を離れた信はなく、信を離れた行もない…

⑥感想を頂きました(その1)

このブログを読んでいただいている方の中には親鸞会に何らかの関係がある、もしくは関心のある方もあるかとおもいます。 多くの方に記事を読んでいただいておりますが、誠に有難うございます。 感想をいただきましたのでいくつか紹介させていただきます。 あ…

⑤「親鸞聖人像」ついて

「親鸞聖人像」ということについて述べてみたいとおもいます。 「これが浄土真宗の教えである」と語られるとき、親鸞聖人のお言葉があげられて説明がなされ、その中で自分の領解を申し上げる、というのが浄土真宗のご法話というものの大体の構成ではないかと…

④「承継」について

「承継」ということについて考えてみたいと思います。 真宗史では本願寺は親鸞聖人の墳墓として始まっています。 その墳墓の管理が覚信尼から覚如上人へ継承され、本願寺が成立し、そして蓮如上人へ承継されました。 そして本願寺が正当な親鸞聖人の「血脈」…

③「葬式仏教」について

「葬式仏教」について書いてみたいとおもいます。 親鸞会は「今日の浄土真宗は葬式仏教・法事仏教となり衰退の一途をたどっている。この現状を嘆いて立ち上がった」と本願寺を批判してきました。 それは親鸞聖人が「閉眼したら自分の遺骸を鴨川の魚に与えな…

②「因果の道理」(「縁起説」)について

「因果の道理」と「縁起説」ということについて書いてみたいとおもいます。 「善因善果 悪因悪果 自因自果」は「仏教の根幹」であり、「これを否定するものは外道」であるという説があります。 そして信仰がすすむということは「因果の道理」の認識の深まり…

①牛にひかれて善光寺参り

浄土真宗の末端の門徒です。少しだけ仏教の勉強をしています。 かつて浄土真宗親鸞会で活動していたことがあるのですが、縁が離れてよりいろいろな聞法のご縁によってお育てをいただきました。 浄土真宗の領解を書いてみたいとおもいますが、親鸞会について…