親鸞会の卒業と「念仏の信心」のススメ-ブログ

浄土真宗親鸞会からの卒業と、浄土真宗の領解をいろいろな入射角で取り上げるブログです

Ⅱ‐㊼「アンビバレント」について

高森会長は本願寺派を破門になって以来、悔しさから見返したい復讐心と、振り向いてもらいたい憐憫というアンビバレントな感情を同時に抱き続けてきたことでしょう。アンビバレントとは、ある対象に対して相反する感情や考え方を同時に抱いている状態を指す…

Ⅱ‐㊻ 信仰のご相談

多くの方に本ブログを読んで頂いています。大変有難く思います。 まじめな信仰相談をされる方もありましたので、少しでもご縁になればと思い、以下のリンクの先に掲載しているメールアドレスにて相談を受けさせて頂きたいと思います。 真宗教学の内容、親鸞…

Ⅱ‐㊺「親鸞会という名」について

浄土真宗「親鸞会」という名称は、実を表していません。 本願寺派の、阿部信幾師は「高森さんの教えなんだから高森会か高森教にすれば何も問題はない」と繰り返し主張されていますが、まさにその通りであると思います。 日本の宗教団体は、「家」の宗教であ…

Ⅱ‐㊹「親鸞会と宗教の未来」について

禅宗に「自分と同じような弟子を作る師はろくな人間ではない」という戒めがあるそうです。 法然聖人には多才なお弟子方がありました。法然聖人の広い包容力があってこそ、親鸞聖人という傑出した方が現れたと言えましょう。仏教では、釈尊の法は同じでも領解…

Ⅱ‐㊸「遺言」について

「遺言」について少し書きたいと思います。 かつて高森会長は自分の法話、教学講義、著書、アニメなどを「遺言」だと言い、「血の一滴まで残したい」のような誇大な表現を頻繁に用いました。そのようなエキセントリックで扇動的な言説に奮い立ち、「これが最…

Ⅱ‐㊷「信心決定」について

久しぶりに金沢に行きました。前から行きたいとは思っていたのですが、わざわざ行くほどの強い理由もなく歳月が経過していました。 先週6月7日の朝、急に思い立って行こうという気持ちになり、突き動かされるように新幹線に飛び乗りました。到着すると「金沢…

Ⅱ‐㊶「後生の一大事」について

「後生の一大事」とその解決は、かつて親鸞会の教義の中心でした。 「吸った息が吐き出せなかったら、吐いた息が吸えなかったら、死後長い間苦しみ続けなけばならない取り返しのつかない一大事がある」と自他共に徹底しました。蓮如上人時代の念仏者であった…

Ⅱ‐㊵「会計報告」について

親鸞会は会計報告がない、という指摘が昔からありました。宗教法人である以上、会計報告を行うことは義務付けられていますので何らかの報告は毎年なされているはずです。正確には、まともな会計報告がないと言うことでしょう。 ある民間調査会社によると親鸞…

Ⅱ‐㊴「錦の御旗」について

江戸時代の末期、薩摩長州連合軍が「錦の御旗」を翻して官軍であることを誇示しました。その権威と正当性を訴求する効果は絶大で、徳川幕府の大軍は戦意を失い敗走を重ね、一気に明治維新へと雪崩れ込んで行ったと言われます。 日本人は、元来素朴で純粋な民…

Ⅱ‐㊳「大行」について

親鸞聖人は『教行信証』「行巻」に、 「大行とはすなはち無礙光如来の名(みな)を称するなり」と述べられています。 古来、浄土真宗の宗学ではこの文に対し、様々な解釈と味わいがあったようです。以前の投稿でも書きましたが、大きく分けると「能行」派(衆…