「親鸞会」の卒業と「念仏の信心」のススメ

親鸞会からの卒業と、いろいろな入射角で浄土真宗の領解を取り上げるブログです

㉖ 「カルト」について(中編)

前回に続いて、「カルト」について述べたいとおもいます。 親鸞会を退会した方が、同じような集まりに移ってしまっている、という話を最近耳にします。 それらの中には、私も参詣したことがある集まりがいくつかあります。 ただ、それらの集まりが親鸞会と同…

㉔ 「カルト」について(前編)

「カルト」ということについて、少し述べてみたいとおもいます。 「カルト」という用語は、メディアなどでしばしば用いられますが、学術的にはいまだ確かな定義はないようです。 統一教会の問題がクローズアップされ、堰を切ったように「カルト」問題が報道…

㉓ 2人の後輩

学生時代に、親鸞会のサークルの部長をしていたことがあります。 2人の心に残る後輩がいました。 S君は2年下、A君は3年下、二人とも理系の学部で背も少し小さく兄弟のようでした。 四国出身のA君が1年生のとき「S先輩が自分の下宿で食事を作ってくれた…

㉒「除名」ということ(後編)

「除名」について、少し書き足りないことがありましたので前回の投稿を(中編)にしまして(後編)を書きたいとおもいます。 親鸞会の「除名」は、組織の中では最も重罪という扱いなので生易しいものではありません。(一旦、組織の外に出るとたいした衝撃力…

㉑「除名」ということ(中編)

前回に引き続いて「除名」と言うことについて考えてみたいとおもいます。 親鸞会では、「除名」が一番重い処分とされていますが、これは親鸞会に限ったことではありません。 真宗大谷派の僧侶高木顕明は、1910年「除籍(僧籍削除)」の処分を付されました。 …

⑳「除名」ということ(前編)

「除名」ということについて考えたいとおもいます。 随分昔のことであり、あまり思い出すこともなかったのですが、先の投稿でブログを取り上げた近藤元講師と、脱会ブログを書いている山も山さん、夕顔メモというブログを書いている方と私の4名は、かつて親…

⑲「21世紀の浄土真宗を考える会」のブログ

親鸞会元講師の近藤智史氏が生前に書いていたブログ、 「21世紀の浄土真宗を考える会」のブログ記事を抜粋してアーカイブとしました。 関係者の了解を得ましたので、以下のURLに移管させて頂きました。21century-shinshu.hatenadiary.com: 今も褪せることな…

⑱「還相回向」について

「還相回向」について書きたいとおもいます。 親鸞聖人は、『教行信証』に、 「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり」と述べられています。 「往相回向」は、私を極楽浄土に往生させるはたらき、 「還相回向」は…

⑰「不浄説法」について

「不浄説法」ということについて書きたいとおもいます。 「不浄説法」とは、 「自己の名誉や利益のために教法を説くことであり、誤った教法を説くこと」 とされています。 宗派によって少しづつ定義が異なりますが、趣旨は一緒と考えてよいとおもいます。 善…

⑯「乃至一念」について

「乃至一念」について書きたいとおもいます。 「乃至一念」は、 『大無量寿経』の中の「本願成就文」「下品上生」「弥勒付属文」3か所にあります。 法然聖人は、「乃至一念」は3つとも「行の一念」だとされています。 親鸞聖人は『教行信証』では「本願成就…

⑮「三方よし」について

真宗教義の少し難しい話が続きましたので、今回は少し視点を変えてみたいと思いました。 「三方よし」と言うことについて書いてみたいと思います。 「三方よし」は近江商人の経営理念であったと言われます。 三方とは「売り手よし」「買い手よし」「世間よし…

⑭「称名念仏」について

「称名念仏」について書きたいとおもいます。 親鸞聖人は『教行信証』「行巻」で、 私たちの救いの「大行」は「無碍光如来の名を称えることである」 と明確にお示しになっています。 「無碍光如来の名」とは「名号」(南無阿弥陀仏)のことですので、ひとま…

⑬「歓喜」について

「歓喜」について書いてみたいとおもいます。 ⑪「信心」について、で浄土真宗の「信心」は「疑いが無くなる」ということであり意業とは直接的な関係がないことを述べました。 これについて親鸞会の元講師や会員の方から、信心決定したら「大歓喜がおこるので…

⑫「なぜ生きる」について

「なぜ生きる」についてです。 「なぜ生きる」は「仏法」であり「どう生きる」は「仕事・学業・政治・経済・科学など」である。 「なぜ生きる」が目的であり「どう生きる」は手段である。 「なぜ生きる」は「どう生きる」より重要である。 などという親鸞会…

⑪「信心」について

今回は「信心」について書かせて頂きたいと思います。 親鸞聖人の教えは、「信心正因」であり「信心」によって救われると言われています。 「信心」の話を避けていては浄土真宗の領解について述べたことにならないとおもいますので、このテーマを取り上げさ…