「親鸞会」の卒業と「念仏の信心」のススメ

親鸞会からの卒業と、いろいろな入射角で浄土真宗の領解を取り上げるブログです

⑮「三方よし」について

 真宗教義の少し難しい話が続きましたので、今回は少し視点を変えてみたいと思いました。
 「三方よし」と言うことについて書いてみたいと思います。

 「三方よし」は近江商人の経営理念であったと言われます。
 三方とは「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」と言うことです。
 自分の利得だけでなく、売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売であるということが大体の意味になるようです。

 経営コンサルタントセミナーなどで「三方よしが大事」であるというような話を頻繁に見聞きします。
 
 たしかに多くの示唆を与えてくれる概念でありますが、「三方よし」という言葉は、代表的な近江商人の家訓などをもとにして1980年くらいに創られた言葉であり、近江商人がこのようなことを直接的に言っていたということではありません。

 近江は現在の滋賀県になりますが、近江商人浄土真宗の篤信の人たちが多かったことが注目され、近江商人と理念と浄土真宗の教義との関係について取り上げられるようになりました。

 この学説は1941年に社会学者の内藤莞爾が、マックスウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義』の啓発されて論文で提起したものです。
 ウェーバーは、プロテスタントが来世の神の救いを求めつつ、現世における禁欲主義がかえって資本主義発展の原動力を生んだ、という非常にラジカルかつ説得力のある説を提示しました。
 内藤論文では、近江商人真宗教義との相関関係については控えめかつ慎重な論が展開されていますが、浄土真宗の来世の往生を求める教え、質素・倹約・正直という宗教倫理、そして「報恩」という概念に注目しています。

近江商人浄土真宗の教えに基づいている」とか「浄土真宗の教えは近江商人三方よしに現れている」などという話を浄土真宗法話などで、時々耳にします。

 これは一体どこまで正しいと言えるのでしょうか。

 結論から申し上げると、浄土真宗の教義には「三方よし」のような商業道徳の概念はないと言うべきでしょう。

 また近江以外の浄土真宗の盛んな地域に、必ずしも近江商人のような商業理念の発達を確認することはできません。
 あくまで、浄土真宗の信仰が近江商人の商業理念へ与えた影響をみることができ得る、ということまででしょう。

 しかしながら近江商人だけでなく、浄土真宗の篤信の方々に現代にも通じる立派な経営をされた方はたくさんありました。

 言うまでもないですが、「その教えを聞いたら商売がうまくゆくようになる」などという宗教はインチキです。
 また浄土真宗を信仰したら「三方よし」の精神になって商売がうまくゆく、などというのも論理が飛躍しすぎています。
 
 その上で、仏教の教義にある程度基づいた考え方で、経営に参考になるのではないかというものをまとめてみました。

①自己の死が大きなはたらきによって受け入れられ支えられていることにより、死を前提に物事を思考し判断するようになる(生死一如)
②自分も会社も無常のものであり、すべて変化するのが当然であると受け止めるようになる (諸行無常
③自分も会社もすべての関係の中で生かされているものであり、自分の手柄なはないと思えるようになる(諸法無我
④自分の存在は大きな網(世界)の一部であり、網の問題は自分の問題でもあると受け止めらるようになる (諸法無我
⑤自分の現在は宿業に依ると受け止められるようになり、その運命も努力によってある程度変えてゆくことができる(縁起)
⑥人目につかず評価されなくても、陰徳を実行する(縁起)

 仏教思想的な部分を抽出すれば近江商人の商業理念や精神性は、浄土真宗の教義とも関連するもののようにも思えます。
 
 しかしながら浄土往生の真実行はあくまで法蔵菩薩の行でありますので、浄土真宗の教義に直接的に接続することはできないと考えるべきでしょう。

 「三方よし」の思想的な裏付けとして、十分にまとまった学説はまだ構築されていないようです。

 より現代にふさわしい経営哲学を見出してゆくことの必要性を感じますが、それはあくまでも世俗の問題であり、必ずしも浄土真宗と関係付ける必要性はないのかもしれません。