「親鸞会」の卒業と「念仏の信心」のススメ

親鸞会からの卒業と、いろいろな入射角で浄土真宗の領解を取り上げるブログです

⑳「除名」ということ(前編)

 「除名」ということについて考えたいとおもいます。

 随分昔のことであり、あまり思い出すこともなかったのですが、先の投稿でブログを取り上げた近藤元講師と、脱会ブログを書いている山も山さん、夕顔メモというブログを書いている方と私の4名は、かつて親鸞会の会員を「除名」になりました。
 当時、山も山さんは講師部でしたが、近藤さんも講師部をすでに辞めていたので残りの3人は一般の会員だったとおもいます。
 時期が2009年1月3日だったということを近藤さんのブログを読んで思い出したくらいなので、いつのことだったかさえ最早よく思い出せないことです。

 「除名」ということを告げられたとき、何らかのショックはあったように記憶していますが、わずか数分程度のものだったように思います。

 担当講師は、「除名」の理由はわからなかったそうで、「一体、君は何をやったんや?」と言われました。
 「私はなにをやったんですか?」などと言いながら本尊を返却したように覚えています。
 しかしながら、数十年に渡っていろいろなものを犠牲にして求めてきても、人を簡単に切り捨てる団体の本性がよくわかったことはよかったと思います。
 
 釈尊は、いろいろな求道者の集まり(サンガ)を離れて師を求めて回られたのですし、親鸞聖人も比叡山を降りられました。
 仏教の世界では、自分の信と師を求めて、ある集まりを離れることは、許されることであり、なんら批判をされるべきことではありません。

 「除名」になったおかげで、振り返ることなく堂々と、
 本願寺だけでなく、華光会、恵日会、中央仏教学院、真宗ねこねこ会、光雲グループなどいろいろな、善きご縁で浄土真宗を聞き求めることができました。
 親鸞聖人の御聖教にたくさん触れることができました。
 仏教学者や真宗の和上の本を通して多くのことを学びました。

 いま思えば、すべてが如来のご方便でありました。
 「除名」により、まさしく私は阿弥陀如来に呼ばれたのでした。
 
 客観的に見れば、親鸞会は一地方の小さな仏教系の新興宗教に過ぎませんでした。
 当初おかしいなと薄々感じてはいたものの、教義は間違っていないが組織的に問題があるのだ、と思ってました。
 しかし実際は教義的にも、ありもしない「ハッキリ」を永遠に求め続けさせる、浄土真宗とはかなりかけ離れた独特のものでした。
 その過程を通じ、間違った教えを一度捨てないと正しいものは入ってこないのだということに気づきました。

 「唯一絶対」とか「全人類に徹底」とか大層なことを言って、自分たちだけで一方的な勝利宣言をして勝ち誇っていた有様をいまでは懐かしく思い出します。

 「もう親鸞会は卒業しなさい」「二度と救いのない団体に戻ってはならない」という強いお力が働いていたように感じます。

 私は「除名」になった後も、実に多くのことに恵まれました。
 親鸞会を辞めることによる謗法の報い、などというのは組織都合の脅しに過ぎません。

 最近、長年親鸞会に貢献し、社会的立場もあり、人格的にも素晴らしい方が「除名」になられたそうです。
 その理由は「三願転入を否定した」からだと人づてに聞きました。
 ここでは詳しく述べませんが「三願転入」は「南無阿弥陀仏」の救いのはたらきのことであり、凡夫が救われるための方法論のことではありません。
 ある会員が「三願転入を否定しているかどうか」の判定などできるはずもなく、恐ろしい傲慢と、本願に対する疑いを感じます。
 今回の「除名」も組織に都合が悪くなったということで、理由はなんでもよかったのでしょう。
 
 この方がどのような思いでいらっしゃるかはわかりませんが、おそらく大きな安堵の中、「念仏の信心」を聞き求められていることと思います。
 それは間違いなく阿弥陀如来に呼ばれた、のでありましょう。

 親鸞会を続けるか迷っている方へ、
 すべては「南無阿弥陀仏」のはたらきのうちにありますので何一つおそれることなどありません。
 人生は短く、時間は二度と戻りません。
 迷っているうちに、あっと言う間にこの世の縁が尽きることでしょう。
 
 「このまま親鸞会の同じビデオを繰り返し見ていて助かるのだろうか」という心の声が聞こえたあなたは、阿弥陀如来に呼ばれているであろうことを申し上げたいと思います。